11月2日の「愛知大学ホームカミングデー」で、番組の公開収録をしました。
今日はその第2回目です。
ゲストは孫文を支援した実業家、梅屋庄吉の伝記ノンフィクション、『革命をプロデュースした日本人』という本を出版された小坂文乃さん。
小坂さんの講演終了後に、その場所(第教室)で収録しました。
講演後も会場にお残り下さって、収録にご協力いただきました皆様、どうもありがとうございました。
先ほどは、梅屋庄吉と孫文の関係、梅屋が孫文に対して現在のお金にしたら、1兆円近い金銭的支援をしたにもかかわらず、それが表に現れてこなかった経緯などをお聞きしました。
梅屋庄吉の曾孫の小坂さんが、この本「革命をプロデュースした日本人」をお書きになりたいと思われた理由は何でしょうか。」
「実は、私は自分が書くなんて、全然思ってなかったんですよ。大学で勉強したのも
観光学ですし(笑)。
歴史学者とか作家がいつか書いてくれると思って一生懸命資料の説明をしていたんですね。
2008年に、中国元首胡錦濤国家主席が来日された際、当時の福田首相と一緒に、私の働いている日比谷松本楼の「孫文と梅屋史料室」を訪れて、資料をご覧になるという一幕がありました。
福田首相はその後3回もいらっしゃって資料をご覧になりました。そして梅屋のことをまだ誰も書いていないというお話をしたら、『どうしてほっといたの?』と聞かれ『どなたかが、いつか書いてくれると思って待っていたんです』とお答えすると『誰も書いてくれないなら、あなたが書けばいいじゃない。君はペラペラしゃべれるんだから、それをそのまま書いたらいい』とおっしゃったんです。
ですからこの本『革命をプロデュースした日本人』は、元首相のお勧めで書き始めた本でございます。
資料もわたしのところに全部あるので、どなたがいらしても、見せるのも大変なことになるので、良かったのかもしれません。
それに日常でも、孫文先生や宋慶齢先生のことが、しょっちゅう話題になっていましたしね。
それでもいざ書くとなると、中国の歴史などをちょっとは勉強いたしました。」
本を出版された後の反響はいかがでしたか。
「タイトルが物議をかもしました。本のタイトルは出版社が付けるのですが、多少パンチのあるものでなくてはいけないという事で、『革命をプロデュースした日本人』としました。
『孫文と梅屋庄吉』では誰も本を手に取りません(笑)。
しかし古い学者の方からは『革命をプロデュースした…とまで言い切ってしまうのはいかがなものか』と叱られたりしました。梅屋は表に出ていませんでたから。
良い反応も悪い反応もあったという事です。
梅屋は映画人でしたから、それでプロデューサーという言葉を使ったという事もあります。」
現在、資料はどんな形で公開されているんですか。
「そのほとんどは私の自宅にあるんですが、一部…宋慶齢の弾いたピアノなどは日比谷公園の松本楼に展示してあります。
実は今年(2014年)4月に、梅屋の出生地の長崎県に、『孫文・梅屋庄吉ミュージアム』が出来ました。
旧香港上海銀行(国の重要文化財)がグラバー邸の近くにあるんですが、その中にあります。
そこで資料の公開展示をしておりますので、近くにいらしたら、ぜひお立ち寄りください。」
ご本の中に、小坂さんのお祖母さまにあてた宋慶齢の手紙が出てきます。
これにとても心打たれました。
「宋慶齢先生は晩年、中華人民共和国の国家副主席になられるんですね。
先生は日中戦争の間は、中国の皆さんの心の支えのような方で、抗日運動の先頭に立たれていました。
そんなお立場ではありましたけれど、1978年の日中国交回復後、先生は『梅屋さんの娘が生きていたら会いたい。元気なうちに会いたい』といわれ、私の祖母にあたる千世子は北京まで行って、何十年ぶりの再会を果たします。
その後お手紙で『この貴重な友情は時間や情勢によって消えるものでは決してなく、何事によってもこれを消せるものではありません』と伝えていただきました。」
素晴らしいお話ですね。日本と中国の関係は、今決して良くないですが、そのような個人の友情は決して消えないことをお聞きすると、勇気づけられます。
梅屋庄吉の活動や思想、その人生の紹介を通じて、小坂さんが皆さんに送りたいメッセージは何でしょうか。
「私が講演をしたり、日中の友好のための活動をする原点は、伝え聞いたことを残すという事もあるのですが、中国や日本の若い人たちに、こうした孫文と梅屋の関わりを伝えたいという気持ちがあります。
孫文と梅屋には、お互いの国を救うぐらいの気持で付き合っていたという歴史があります。
それを若い人に知っていただきたい、伝えたいです。
日本にとって、中国の存在は大きいです。
その中国と、少子化が進む日本がどう付き合うのか真剣に考えた方がいいですね。
なるべくお互いの国に友達を作って、いいお付き合いのできる隣国で会ってほしいと切に願っています。」
梅屋庄吉をめぐり、日本と中国にも新しい動きがあるとお聞きしました。
「梅屋は孫文先生が亡くなられた後、孫文の銅像を4体中国に送っています。
その返礼として、80年後、中国政府が日本へ梅屋庄吉の銅像をお送りくださったんです。
日中の近代史の中で、銅像のやり取りをするというのは他にないんじゃないかと思います。
銅像というのは簡単に壊れるものではないので、『ずっと伝えていく』という意味合いがあるんですね。
これからも2人の友情の歴史は、両国で大事にしていかなくてはならないものだと思います。」
小坂さんのお話は、歴史の表には出てこなかった孫文と梅屋庄吉の深い繋がりを、家族の手で掘り起こしたという、大変面白く興味深いものでした。
関心のある方は、小坂文乃さんのお書きになった『革命をプロデュースした日本人』(講談社刊・定価1700円+税)をお読みになると同時に、東京へ行ったら「日比谷松本楼」、長崎へ行ったら「孫文・梅屋庄吉ミュージアム」をお訪ねください。
私もぜひ行ってみたいものだと思っています。
来週は、中国笛の奏者で、愛知大学大学院生でもある劉一(リュウ・イー)さんをお迎えします。劉一さんには、実際に笛の演奏もお聞かせいただく予定です!
どうぞお楽しみに・・・。
「チャイナ・なう」パーソナリティー 高野史枝