2001年、中村直志は赤いユニフォームに袖を通した。“寡黙な男“が第一印象。
本当に上手かった。三好の練習場が大雨で隣の体育館を使いミニゲームの練習を見ていると、自分で選ぶかのようにあえて狭いディフェンス密集地帯にドリブルで切れ込んでいく。
「好きなんですよ。間を破るのが。一気にチャンスが広がるでしょ!」
プレースタイルは攻撃大好き。攻めるの大好き男だった。このままグランパスの攻撃を担っていく。そう思った。
しかし中村直志は数年後大きな壁に当たる。チーム方針とプレースタイルの不一致だ。
プレーヤーには自分のやりたいプレーがある。しかし常にそれがチームの求めるプレーなのか。残念ながら常に一致はしない。トップ下を好んだ男はボランチへ。ベンチを温め、時に外れることも多くなった。辛かったと思う。腐りかけたと思う。当時声をかけるのを何度も躊躇った記憶がある。
しかし、ここからが中村直志の真骨頂だった。懸命にディフェンスを磨いた。ボールを追った。相手の攻撃第一手をひたすら摘む事を続けた。そして、努力は必ず身を結ぶ。
移籍してきた闘莉王は入団してすぐ「直志のバランス感覚は最高だよ」と話した。
気づけば中村直志がチームに攻守の安定をもたらしていた。
当時グランパス(現 徳島)の青山隼は守備が苦手で落ち込んでいた。そんな時中村は「青、難しく考えるな。ディフェンスは努力だ。努力次第で何とかなる。俺がそうだから」と励ましていた。
攻撃大好きな男は数年間耐え忍び、努力し、最高のバランサーとして生まれ変わった。
引退後、指導者のオファーを選ばず球団職員としてチームを支える決断をした。異例の決断だ。しかし僕には笑みがこぼれる。ここでも中村直志はやりたい事と求められることが違った。我々会社員もそうだ。自分の理想と与えられる仕事は違う。誰もがそうだと思う。
“我“を通す事がアスリートの美学。私もそう信じてきた部分はあるが中村直志を見てきた今、この考えは必ずしもそうでない事に気づかされる。
スーツを着た中村直志のセカンドキャリア。大丈夫?そんな心配は皆無でしょう。
そんな思いを胸に、中村直志の最後の雄姿を目に焼き付けようと思う。
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中村直志という男
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