本日のゲスト、伍小盛さんは、ご両親とも中国人ですが、日本での生活が長く、中国語は当然ながら、日本語も完璧です。
日中通訳や取材コーディネーターという、日本と中国にまたがるお仕事を通じて、二つの国をバランスよく見ていらっしゃいます。
今日は、そんな伍さんの体験を通じた「日中比較論」をお聞きしました。
本日のゲストの紹介
本日のゲスト、伍小盛さんは、1985年生まれ、中国上海市のご出身です。
7歳の時に、ご両親とともに来日、高校卒業まで日本で生活されました。
2003年、中国の蘇州大学英文科に入学、在学中に、2年間スエーデンに滞在されています。
2009年に蘇州大学をご卒業後、名古屋大学大学院国際言語研究科メディアプロフェッショナルコース前期博士課程を履修されました。
現在はフリーランスの通訳者、取材コーディネーターとして、幅広くご活躍されています。
伍さんはご両親が中国人、7歳まで中国、以降18歳まで日本、その後は両国を行ったり来たりされて、文字通り日本と中国の2ヶ国で暮らし、仕事もされています。
どちらの国の言葉も同じように流調に話されますが、頭の中で考える時は、いったい何語なんですか。
「自分がどこの国にいるかによって変化しますね。中国にいるときは中国語がメイン、日本にいるときは日本語、時々英語も加わります。」
瞬時に切り替わるんでしょうか。
「普段は中国語をメインに使っていますが、明日は英語でプレゼンテーションをしなくてはならないとか、日本語で会議に臨まなくてはならないという時には、その前々日から、英語や日本語のドラマを見たり、ラジオ番組を聞いたりして、頭の中のスイッチを入れ替えるようにしています。」
いろいろなご努力をされているんですね・・・。
伍さんは、通訳や通訳者、取材コーディネーターとしてご活躍されていますが、今までにされたお仕事で、印象に残っているものは何ですか。
「日本のマスコミの仕事が多いのですが、以前NHKの「地球アゴラ」で、中国現地リサーチャーをしたことがありました。
それは、中国で売られている赤い冷蔵庫についてのリサーチでした。
中国では冷蔵庫はキッチンではなく、リビングに置いてあり、しかもそれが赤い冷蔵庫なのです。
赤い色は中国では縁起のいい色として好まれていますし、愛とか情熱の意味合いもあって、新婚カップルには特に好まれます。
その延長上にどんな文化的象徴性があるのかを探る番組です。
そうしたリサーチテーマからして、日本側の着眼点が非常にユニークだと思いました。」
そうしたお仕事を通じて、日本と中国の文化・習慣の違いを感じられたのではないですか。
「日本と中国は、国は近いのですが,文化の違いは大きいです。
まず1つは、仕事の進め方ですね。日本ではチームで仕事に取組み、個々の約役割分担がはっきりしています。
そしてチームのメンバーや上司とは常に報連相(報告・連絡・相談)を取りながら、1つずつステップを確認して仕事を進めて行きます。
中国はいい意味でも悪い意味でも、もっとアバウトです。
個人の能力を重視するので、上に連絡・相談をするのは、自分に解決できない問題が起きた時ぐらいです。
『終わりよければすべてよし』みたいなところがあるので、常に連絡や相談をしていたら、なぜその人を雇ったのかわからない、と、以前話していて言われたことがありました。
日本人は仕事が丁寧で確実でミスやハプニングが少ない代わり、時間がかかります。
中国人は即決断、即実行。
しかし単純なミスから 予想もできないハプニングまで、日常茶飯事のように起こります。
それぞれにいいところも悪いところもあるなあ…と思います。
一般的に世間でも言われているように、日本人は勤勉で真面目な方が多いです。
仕事も丁寧で、モラルがしっかりしていてルールを守ります。
中国人は細かいことを気にしません。
都心部の人たちは海外の文化にも抵抗がなく、オープンマインドです。
また自己主張と向上心が強く、自分や相手の面子を何より大事にします。
好奇心も旺盛です。
こんなに違う両国が、両国とも国際社会で強くなるためには、お互いがお互いの良いところを見習うのが一番いいのではないでしょうか。」
ちょっとお話は変りますが、伍さんの伯父様は、大変有名な中国の卓球選手だった徐寅生(シュウ・インション)さんだとお聞きしました。
徐さんは中国卓球協会会長(首席)も務められていて、何より、1971年に名古屋で行われた、卓球の「第31回世界選手権」―米中ピンポン外交という名前で知られている卓球大会の、選手団団長だったんですね。
伍さんは、その時のことを聞いていますか。
「はい。今でも大変印象に残っているという話を聞きました。ご存じの方も多いでしょうが、1971年に名古屋で世界卓球大会の試合が行われました。
当時の中国はアメリカと外交断絶していたんですが、この大会に両国が参加して交流が始まり、アメリカの卓球選手団が北京を訪問するきっかけになり、翌年の1972年には、ニクソン大統領の中国訪問が実現し、79年にはアメリカと中国の国交樹立が出来たという、スポーツの交流が外交を後押しした歴史的意味の大きい出来事ですね。
実は今年の5月にも、日中の民間交流を深めるという狙いで、伯父は民間の卓球チームを率いて来日しています。
当時の卓球世界大会が行なわれた愛知県体育館を訪問して、大会の最高責任者の後藤先生ともお会いになりました。
私もその場にいたんですよ。」
徐寅生さんはどんな方ですか。
「伯父は普段からことばが少なく、親しくないうちはすこしとっつきにくい人だという印象をもたれる方が多いのですが、実はよく知って行くと、信頼できて、とても温かい人柄打という事がわかってきます。会話にも、とってもユーモアがありますよ。」
伍さんにお話をうかがったあと、中国人の友達に「徐寅生さんって知ってる?」と聞いてみたら、「当たり前。中国で彼の名を知らない人は一人もいないと言っていいぐらい有名な人」と云われ、あらためてビックリしました。
伍さんの日中比較論と合わせ、充実した内容の今回でした。
さて来週は、中国でイチゴと水稲の栽培に取り組み、生産販売をされている株式会社秀(しゅう)農業代表取締役の、加藤秀明さんをお迎えします。
どうぞお楽しみに。
「チャイナ・なう」パーソナリティー 高野史枝